鬼退治で英雄になった桃太郎は日本の現法律に照らし合わせたら有罪な件

むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に……

これは、日本で育ったら一度は耳にする国民的おとぎ話 桃太郎のイントロだ。桃から生まれた桃太郎がサル・キジ・イヌを仲間にし、鬼ヶ島に鬼退治に向うストーリー。さいごには、鬼にとられた宝を取り返し、村に凱旋するという英雄譚で、子どものときは大好きな話の一つだった。しかし、大人になった今、僕は桃太郎を子どもに読ませたくないと思っている。なぜなら、勧善懲悪のストーリーだからだ。

村の宝をぶんどった鬼は悪だろう。それをねじ伏せ、宝を奪い返すという、目には目を歯には歯的なストーリーというのは、僕の考える新世界にはどうも相応しくない。

 

僕の考える新世界は、調和だ。

一時的には敵・味方だったとしても、最終的にはその分離が無くなり、1つのチームとなるのが新世界では当たり前ではないかと、僕は感じている。あいつが先に悪いことをしたから、やり返した。そのようなことで問題が大きく発展していくのは、日常でよく見かける。桃太郎の世界は、日常で起こっていることなのだ。

しかも、桃太郎を今の法律に照らし合わせると、確実に有罪だ。というのも、たとえ元は村人の宝だとしても、取り上げた時点で所有権は鬼にある。桃太郎は村人の宝を取り返したという言い分を主張しても、鬼の所有物を強奪したことになるので、日本の現法律に照らし合わせると有罪。結局のところ、鬼も桃太郎も同じ穴の狢であり、互いが奪われたと主張する果てのない争いとなるのだ。

 

しかし、桃太郎が鬼から宝を力で奪い返すのではなく、共存の道を選んだとしたらどうだろうか?人間と鬼とが共に仲良く暮らす世界が当たり前となったら?奪われる、襲われる、やり返される 等といった不安からは解放されることだろうね。

一時期は悪いことをした鬼たちの罪を許し、愛を持って鬼たちを受け入れ、人間と鬼が仲良く幸せに暮らす楽園を作りましたとさ。

それこそ、めでたしめでたしで、真の英雄ではないかと僕は思うんだ。

 

新世界のキーワードの一つは、調和だ。これは、これからのビジネスの在り方においても重要なキーワードになる。

ビジネスコンセプトを構築するときに、『共通の敵』なるものを明確にしておくと、顧客との信頼関係が構築しやすい。例えば、

「あなたが英語が話せないのは、あなたのせいではありません。英語が話せるように監修されていない教科書が悪いのです」

といった言い回しだ。本当にそう思っているのであれば、そう主張するのもいいだろう。しかし問題は、着地点。

教科書を敵としたまま終わるのか?
それとも教科書を味方にするのか?

最終的には選択の問題であり、どちらが正しい間違いではないのだが、全方位で幸せになるということを考えると、教科書を味方にすること。つまり、分離ではなく調和を選択したほうがベストではないかと僕は感じる。

「教科書は悪ですよ。僕の提唱する英語学習法が正義ですよ」というアプローチのビジネスは、次第にやりにくくなるだろうね。それよりも、敵だと言っていた教科書を味方につけ、それによって創り出される新世界で人を魅了する、そんなアプローチがこれからのビジネスには必要なのでないか。というより、当たり前になっていくのではないか、って感じる。

セミナービジネスもそうだけど、全体的にビジネスのやり方がそんな風にシフトしてきている。桃太郎のような勧善懲悪のマーケティングではなく、調和された新世界のマーケティングへのシフトが必要になってきているね。これまでとは違う意識の転換に後れを取らないようにしていきたいものだ。

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