何度も何度も挫折した英語学習が今度こそは継続できるかもしれない理由

「いい加減、英語が話せるようになりたいなぁ…」

僕は今、インターネットで自分に合った英語学習方法を調べている。僕は、英語を話したい。そう言い続けて、どれくらいになるだろう?10年は軽く超えているだろうか。これまでの僕の英語を話したい気持ちというのは一過性のもので、一年と続かなかった。僕の家には英語に関する書籍が何冊もある。ボキャブラリー、フレーズ、発音、冠詞、洋書、英訳漫画など。英語を話せるようになりたいと思うたびに買い揃えたものだ。しかし、どれも状態は良い。もっと言うと、新品同様なのだ。購入することに満足してしまい、たいしてなかったということが、本の状態で一目瞭然だ。なんとも情けない。しかし、それでも僕は英語が話せるようになりたいのだ。

 

僕が保育園に通っているとき、英会話教室に通っていた。「これからは、英語が必ず必要になる」という父親の考えがあったからだ。父は、今から40年ほど前に英語の重要性を感じ、僕に英語を学ばせていたのだ。当時のことは、あまり覚えていないのだが、英会話があまり楽しくなかったことだけは覚えている。真面目に英語を学ばず、同じ教室の子とふざけて遊んでいたのだ。なので、ちっとも英語が話せるようにはならなかった。せっかくの父の思いやりも残念な結果に終わったのである。

 

中学校に入り、授業で英語を学ぶようになった。学習塾に行っていたこともあり、成績はまずまず。特に挫折することもなかった。しかしだ。高校1年の春、英語が嫌いになったのだ。文法についていけなかったのだ。SVCやらSVO、SVOOなど、何が何やら分からない。そして、これを学ぶことで英語が話せるようになるとは到底思えなかった。日本語の日常会話でも、主語、述語、動詞を正確に並べ、文法通りに話すわけではない。単語を並べるだけで、相手と会話ができる。英語を話すことに繋がりそうもない教科書と授業。それを押し付ける教師。それらに強い抵抗を感じたのだ。

しかし今だから思うのだが、そうした英語への抵抗は、ハッキリ言って傲慢である。そして、英語ができない負け犬の遠吠えだ。英語のできない高校生の僕は、英語ができない理由を教科書や教師のせいにしていただけなんだ。高校英語には抵抗するクセに、留年しないために勉強は一応する。ダセェ。中途半端な抵抗で反骨心のかけらもない。しかし、その頃の僕は、自分のカッコ悪さにも気が付かず、大学受験のために英語を勉強し、大学2年生まで授業で学び続ける。大学3年生になり英語の授業はなくなった。「ようやく、英語から解放された」そんな気持ちが僕の中に溢れたのを今でも覚えている。

 

それから時は流れ、32歳の時。僕はシンガポールのセミナーに参加することになった。社会人になって、初めての海外。言葉は通じるのか不安が募る。セミナーには通訳があるから心配はしていない。それよりも、本当に会場にたどり着けるのか?そっちの方が心配だった。実際は、そんな心配は無用だった。単語を並べれば、何とか英語は通じる。ほら、文法とかなくたって意味は通じるんだ。しかし、僕はそのセミナーで改めて英語を学びたいと思った。というのも、そのセミナーに登壇していたスピーカーが無茶苦茶カッコいいのだ。その体から発する大きなエネルギー。僕は、通訳を通さず、彼らの言葉をダイレクトに聞きたいと思った。通訳のイヤホンを外してみた。案の定、分からない…これまで、英語を身につける機会に恵まれてきたのに、身についていない自分がイヤになる。でも、しょうがない。今の自分を受け止め、「帰ったら英語を勉強しよう」とシンガポールを後にした。

帰国後、英語を勉強したのか?というと少しだけした。世間では、していない、と評価されるようなレベルだ。その後、海外のセミナーに参加するために、ワールドスピーカーのセミナーをサポートするために海外に渡った。その度に、「帰ったら英語を勉強しよう」と思うのだ。海外スピーカーの来日セミナーをサポートするとき、スピーカーと細かな打ち合わせをする。当然、通訳の方がいてくれるのだが、やはりパートナーとして英語でコミュニケーションをとりたいと思うが、力不足でそれもかなわない。「そろそろ英語を話せるようになりたいなぁ」とその度に思うのだが、行動と結果が伴わないのだ。

 

しかし、数年前、オンライン英会話を半年ほど継続したことがある。長くても2か月だった僕の英語学習の継続力からすると、3倍である。なぜ継続ができたのか?それは、英語だけでセミナーをやろうと決めたからだ。オンライン英会話を始めたのが6月くらい。8月になったあたりに「年末に英語だけのセミナーをしよう」と決め、それを目的として英語を学んだのだ。内容は、カッコいい英語の発音について。だから、英語の発音を練習した。セミナーの自己紹介も英語でかっこよく話せるように練習。そうこうしているうちに、あっという間に本番。心ではヒイヒイ言いながら、何とか初めての英語セミナーを終えた。受講者も楽しんでくれたよう。この時、英語が楽しいと初めて思った。しかし、残念なことに、英語セミナーの次の目的が無くなり、気力が失せ、そこで英語学習がストップしてしまったのだ。

 

今、僕は改めて英語学習に取り組んでいる。僕は、英語劇に出ることにしたのだ。インターネットで見つけた『演じる英語ゼミ』という英語劇を演じながら英語を学んでいくという講座を受けることにしたのだ。演目は、『幸福な王子』。僕の役は、王子。そこそこ、セリフもある。もちろん、セリフは英語。そのセリフに感情を乗せ、さらに演技をするというのだから、なかなかのハードルの高さだ。おまけに2か月半で本番。期限もあと1か月ほど。結構な負荷のかかり方だ。しかし、この負荷が良いのだ。なぜなら、根底にやりたいことをやっているからだ。やりたくないことに負荷がかかっているわけではない。やりたいことに負荷がかかっている。だから、負荷がかかってもなんだかんだでクリアしてしまうのだ。英語劇は、やりたいと思った。だから、負荷は感じても苦しみではない。しかし、「ボキャブラリー増やさなきゃ」というような気持にかかる負荷は、苦しみでしかない。そりゃ、やめたくなるよ。なんでもそうだが、自分のやりたい気持ちを起点にするというのは、大切なことなのではないかと感じる。

 

本番まであと1か月ほど。僕に与えられた役割をしっかりと果たしたい、英語を楽しんでいきたいと思う。英語劇の練習をしているうちに、次にやりたいことも出てきた。今度こそは、英語が話せるようになるのではないか?自分の未来に期待を膨らましている。

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