セミナーを作る行為は、『宇宙』を創り『命』を宿らせるという感覚があります

セミナーというものを感覚的に語るのであれば、セミナーを作る行為は、

『宇宙を創り命を宿らせる』

という感覚が僕にはあります。

セミナービジネスのコンサルタントとして、セミナーというものを分かりやすく説明するために、

『セミナーは、参加者の理想と現実のギャップを埋める体験の場である』

と僕は定義していますが、ここで最も意識しているのは『場(フィールド)』であり、この場というのは時間と空間を指します。

この『場』こそが宇宙なんですね。

 

そもそも、『宇宙』という言葉には、どのような意味があるか?

なのですが、

宇とは、天地四方上下。言い方を変えると、前後左右上下であり、これはつまり、三次元の空間。

宙とは、往古来今。これは、過去・現在・未来であり、つまり時間。

宇宙とは、時間と空間であり、そこにあるエネルギーや物質、森羅万象を意味する言葉なんですね。

 

こうした『宇宙』という言葉を意味を知ると、僕は「宇宙を創る」という表現が非常にしっくりきているんです。

椅子や机、ホワイトボードくらいしかない会場に、セミナーのテーマや世界観によって新しい宇宙を創っていく。

そんな感覚です。

 

そしてもう1つ、『命が宿っていく』という感覚があります。

セミナーテーマや世界観によって会場に宇宙を創っていった時に、そこにエネルギーが集中すれば集中するほど、命が宿っていく感覚があります。

命を宿るのは、セミナー自体かも知れないし、コミュニティかもしれないし、コンテンツかも知れないし、なんだかよく分かりません。

が、共通していえることは、エネルギーが集中した時に、

「あっ、命が宿ったな」

というハッキリとした感覚があるんですよね。

 

これは感覚的なことなので、非常に説明しにくい部分でもあるのですが、例えば、頭に描いた理想のセミナー像があったとして、それが細部にわたって表現されたときに会場に命が宿ったと感じますね。

椅子や机の配置、レジュメのページ数や並べ方、時計の場所やスタッフの立ち位置など、運営だけでも本当に細かく、重箱の隅をつつくぐらい細部にわたって理想のセミナー像を表現していくと、会場に命が宿る感覚です。

神々は細部に宿ると言いますけど、本当に神が会場にいるような、どこか神聖なものを会場の雰囲気として感じるんですね。

こうしたことを会場や設備だけでなく、講師の立ち方や話し方、参加者の状態など、セミナー会場という宇宙にある全ての存在が1つの生命体となるような、それはまるで、臓器や器官、細胞は別々なのに、集合することによって1つの生命体として命が宿る。

そんな感覚が僕にはありますね。

 

ここで少し視点を変え、セミナーの語源を辿っていきたいと思います。

現在使われている「seminar」は、演習、講習、研修といった意味でつかわれていますが、この語源を辿っていくと、ちょっと面白いことが分かるんですね。

 

seminarの語源は、ラテン語のseminarium

これは、苗床を意味するのですが、種をまいて苗をはえさせ育てる場所のことです。

では、seminariumの語源は?

というと、

semen

これは現代でも使われる言葉であり、精液を意味します。

 

つまり、現代に生きる僕たちが使用しているセミナーという言葉は、

semen → seminarium → seminar

と派生してきたということですね。

こうした語源を辿りセミナーの語源が精液だということを知ると、

セミナーはやはり『命を宿らす場所』なのではないか?

そのように僕は強く感じるわけです。

 

さらに言うと、seminariumは、宣教師を育てる神学校の意味があるのですが、これは『宣教師』という新たな命を宿らす場所と捉えることもできます。
 
当時の人たちが宣教師を養成する神学校を作り、それに名前を付けるときに、『seminarium』という名を付けたのには、

学校は命を宿らす場所である

という感覚があったからなのではないかと、僕は感じていますね。

 

以上のことは、セミナーの言葉の意味や歴史、そして、僕の体験からくる、単なる僕の感覚に過ぎないですけどね。

でも、セミナーを作る行為に、『宇宙』を創り『命』を宿らせるという感覚を感じると、単に何かを教えるとか、これまでとは違った意味合いのセミナーが作れるのではないかと思うんですよ。

こうした感覚は大切にしていきたいなぁ、と僕は感じてます。

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